平成19年3月24日(土) 雨の降る中、立ち見も出る程のお客様にご来場頂き、盛況の中、無事初日を迎えることができました。

17時の回 上映終了後、井上泰治監督、加納元警部補を演じた奥田瑛二さん、キム・ソンス役を演じた金山一彦さんによる初日舞台挨拶が行われました。
その一部をお伝えしたいと思います。

MC この作品は、様々なテーマがありましたが、特にこの部分をクローズアップして描きたかったという部分はどういうところでしたでしょうか?

井上 監督の井上です。脚本の田村みつるでもあります。1970年代の再現というものがなかなか難しかったのですが、その中で瀬戸内シージャック事件という実際にあった事件をモチーフにしてこの作品をつくりました。最近になって在日、朝鮮と日本という差別的な部分が徐々に緩んではきているものの、そういうものがまだ根深くあった時代が1970年代でしたので、今よりも厳しかった時代を伝えられたらなぁと思いました。太平洋戦争中に、主人公が遭遇することになってしまう瀬戸内シージャック事件に至る、在日の人達の苦しみ、そういう部分を何とか描きたいと思いました。この作品を描く上で、社会派とエンターテイメントの間で、自分の中で色々悩みながら作った作品だったのですが、出来上がりについては、ご覧頂いた皆さんの感想が作品の出来だという風に思っています。

MC 70年代の風景とか情景、そして人間模様がたくさん描かれた映画だったのではないかと思います。
そして主演で、加納元警部補を演じられました奥田瑛二さんにお話をお伺いしたいと思います。
加納元警部補という役は、奥田瑛二さんとしてはどのように演じられましたか?

奥田 どちらかというと得意なんですよ、こういうのは。(笑)こういうキャラクターは誰にも負けないぞ、という意識があったんでしょうね。それとまさに監督もおっしゃっていましたが、1968〜 70年代というのは、僕もちょうど18歳から青春時代に東京に出てきて、世の中は学生運動等で石を投げて角棒を持って振り回す青年がいれば、この映画にもありますが、ロックンロールを歌ったり、そういう風に爆発する群像もあった訳ですね。そういう経験があるものですから、素直に溶け込めた役でした。
それと久々の俳優だけの出演で主演ということで、どういう風に演じようかと考えました。この映画をご覧になって、爆発する青年達と、十字架を背負った男の二重構造というものがあったと思うのですが、その二重構造があるからこそ、青年達が絶対にキラキラしないといけない映画だと思ったんです。主人公は現実逃避している部分もありますが、自分の中では、どこかこう気持ちの中に憤りと強いもの、切なさ、むなしさ…色々混ざり合った気持ちがあり、それを無駄な演技をせずに演じれば、青年達もエネルギーが爆発するし、お互いに融合するんじゃないかなと思い、一番気をつけながら演じました。 記憶をたどれば、あまり無駄話もせず、けっこうストイックにしていたような気がしますね。

MC この映画では、様々な絆が描かれていたと思うのですが、その辺りはいかがですか?

奥田 やはり絆というと、親子の絆、家族の絆、兄弟の絆など、人と人との関わりの中に作りあげられ、成長していくものがありますよね。それと友情ですね。 一番思うのは「絆ってどう思いますか?」「ありますか?あなたに」と問いかけた時に、「私の絆って何だろう?」「俺の絆って何だろう?」と、ちょうど今振り返らないといけない時代にきているんじゃないかなと思います。だからこそ、こういう絆がまだしっかりあった時代を映画としてご覧頂くことによって、絆すら希薄になってきている現代社会で、観終わった後に「私の絆って何だろう?」「俺の絆って何だろう?」ということを考えて頂ければいい。それとみんな同じ赤い血が流れているのに、どうして色んな軋轢(あつれき)、摩擦、そういうものが生じるのだろうということも問いかけてみると、どんどんどんどん答えが出てくる訳ですよ。問いかけることによって何かが見えてくる、そういう事を考えてもらいたいな、と思っております。

MC ということは、何度もかみしめてもらうと、また違った絆の感じ方やとらえ方が出てくるのかもしれないですね。

奥田 そうですよね。時代背景というものを理解して頂いたあとに、再度ご覧になって
「私の絆はこうだった」「あぁじゃあもう一回見てみよう」と思って頂ければいいですね。

MC そしてキム・ソンス役を演じられました金山一彦さんです。
金山さんは、大阪ご出身と伺っておりますが、この大阪を舞台にした大阪発の映画というのは、どのように感じられましたか?

金山 大阪物には、必ず僕が出てないといけないだろうと思っている位です。(笑) ほとんど電車の止まらない、年々ホームが狭くなってそのうち無くなるんちゃうかなぁと思う位ホームが狭い中津駅(笑)の近くで、小・中学校時代を過ごしました。 今回の舞台となった新世界の辺りも、たまに買い物に行ったりしていました。

(大阪は)独特の雰囲気がありますし、特に大阪弁というのは、基本的に俳優さんが下手な方が多いのですが、奥田さんは大阪出身の人かと思う位、非常に大阪弁がうまい。奥田さんは、僕と話すと必ず大阪弁になるんですよ。(笑)

僕が中学生の時には、学校に在日の人がいたんですよ。「日本人くたばれ!」とか言っていた人と仲が良かったんですよね。だから(役には)すごく入りやすかったですね。

MC ご自身も実際にその年代の頃にそういう経験をされて、実際に見ていらっしゃるから、その辺りがオーバーラップして役に入りやすかったんですね。
では、最後に奥田さんから一言頂きたいと思います。

奥田 日本映画が今、かなりの勢いで外国の映画を追い越しております。それがいつ失速するかはわかりません。でも我々映画人にとっては、とてもありがたいことです。一つだけ忘れてはいけないのが、メジャーである映画だけが日本映画を支えている訳ではないのです。我々がつくっているインディペンデント(独立系)の映画、単館上映の映画が、縁の下のところで腰をすえて映画を作っておりますから、それがやはり力として、土台を作っているんです。それは、この映画に来て下さった方々がいるからこそ、日本映画が支えられて、洋画を抜いたのだと、私は自負しております。本日はご来場下さいまして、本当にありがとうございました。

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